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アンラーニングという学び 〜『冒険の書』と『新感覚のアイデンティティ』を読んで〜 講師:都築靖子先生

 

新しい教育を求めて

 私は長年、教育とか学びのあるべき姿について、自分の中で問題意識を持っていました。学校教諭ではなく家庭教師という仕事を選んだのにはそれなりの理由があったわけですが、教育をメインで担うのはやはり今も昔も学校であることは間違いありません。
 ですが、増加し続ける不登校やいじめ、価値観の多様化、教師の過重労働など学校を取り巻く環境はますます厳しくなっています。文部科学省や教育委員会、現場の先生たちも、何とか対応しようとしていますが、これはもう学校という制度自体が既にある意味での制度疲労を起こしており、何か根本的な考え方を変える必要があるのではないかと考えています。
 自分自身を省みても、子供の数がこれから先もどんどん減って、受験の倍率も下がっていく中で、以前人気の高かったいわゆる名門校に行って良い会社に入れば安泰というようなことを誰も信じていないような時代に、基本的には従来通りの、大学受験を目指して行っている今の学習指導の形態はいつまで続けられるのだろうか、という危機意識もあります。

 そういう流れの中で、今年立ち上がったOKOSEエデュケーション協会という、教育を考える団体の会員となりました。親と子と先生が枠を超えて協力し、新しい教育を創造するために設立された団体です。そこで紹介されたのがこの『冒険の書』という本です。 著者は孫泰三さんという起業家で、この方が自分の子供に「なぜ学校に行かなきゃいけないの?」と聞かれ、それに応えてそもそも教育って何なんだろうとずっと探求していったその軌跡が綴られています。西洋の教育思想史を紐解いて、その時代、時代の社会課題に、思想家たちがいかに答えようとし、何を理想としてどのような教育を目指してきたか、そしてそれが現代の教育システム、ひいては社会システムとなってきているという歴史を追う中で、著者の思索が深まっていきます。この本を読んでいると、自分の中で無意識のうちに前提となっている思考や思い込みがぼろぼろと剥がれ落ちていく感覚があり、まさに知的冒険の書という感じでした。今回研修会の講師のお話をいただいたときに、このエキサイティングな読書体験をしていたところだったので、ごく一部ではありますが、共有させていただこうと思った次第です。

「○○しなければ」の奥に潜む世界観とは

 子供に「なぜ勉強しなきゃいけないの?どうして学校に行かなきゃいけないの?」と問われた時、親は「そうでないと大人になったときにちゃんと生きていけないよ」という感じの答えをすることがほとんどだと思います。その奥には生存への恐怖が潜んでいます。子供には好きなことをやってのびのびと自分らしく生きてほしいと願いつつ、心の底では、そんなことをしていたら生き残れないのでは、競争に負けて取り残されて、どうにもならなくなってしまうのでは、という根源的な不安恐怖がある。そうならないように強くならなきゃいけない、あるいは人と仲良くしなければ、世界に順応していかなければというふうに、ほとんどの人間の考えの根底に不安恐怖があり、だからこそ社会もそれを反映したものになっています。これは結構核心をついていると思います。
 これを「本当にそうなのか」と問い直していく。我々の思考の前提となっている根源の思考を発見し、それが本当に真実なのか。もし変えられるとしたら、自分はどのように変えたいのか。そういう根本的なところまで深く掘り下げていくことが、今とても必要なのではないかと著者は考えています。ちなみに著者は、この不安恐怖は真実ではないと考えています。その根拠も非常に論理的に説得力のあるものでした。字数の関係で詳細を紹介できませんが、是非ご一読ください。

学ぶ主体と教える対象

 学びたいというのは、人間が生まれながらに持っている衝動で、学ぶことは喜びであるはずなのに、なぜ「勉強」は「やらなきゃいけない義務」とか「責任」ということと結びついてしまうのでしょうか。その一つの答えとして、教育システムが整ってくるにつれ、「学び」が「教え」に変えられてしまった、つまり、教える側が主導権を握ったことによって子供が自ら学ぶ権利を奪っているのではないか、という視点が出てきます。教えられるものを受け取るというのは受け身な活動であり、これは何だろう、知りたいというふうに能動的に行くのとは逆のベクトルです。教える側と教えられる側というふうにいつしか分かれていった背景には、子供へのまなざしが歴史とともに変化していったということがあると言われています。中世までは子供と大人があまり区別されていなかったものが、近世以降、子供は弱く守るべき対象、知識を教えるべき対象とされるなかで、大枠として大人と子供を分けて大人から見て子供が客体になっていきます。 ゆえに子供の意見というのは取るに足らないものとされる。このことが、学ぶ主体としての子供の存在感の弱体化につながっていると著者は考えています。

能力とは何か

 また、著者は「能力や才能といった概念に実体はなく、それは人が他人を評価することによって生まれる単なる迷信、あるいは神話にすぎない」と言っています。少し前には、社会における人間の地位は生まれた家柄などで決まる社会(アリストクラシー)がほとんどでした。これに対する反発として、「教育の機会を均等に与え、才能や努力に応じて誰でも出世できる(メリトクラシー)」という考えが生まれ、それが現在の多くの社会の一般的な価値観となっています。これは合理的で民主的な社会だ、と多くの人は考えていますが、そこに対しても著者は問いを発します。それってほんとに素晴らしい社会なんだろうか?著者はこの疑問に対し、否と答えています。むしろ、人工知能がこれだけ発達してきた今、メリトクラシーは誰も幸せになれない考え方なんじゃないのかと。ここもなかなかスリリングな読書体験でした。

学び=遊び=仕事という世界観

 もう一つ例を挙げると、「遊びと仕事と学びを分けると人生は貧しくなる」と著者は考えています。学びというのは本来、純粋にあれをやってみたい、これを知りたい、これをできるようになりたいという衝動から生じる活動であるならば、感覚としては遊びに近いことだと言えるでしょう。また、遊びと仕事を分けないというのは、一言で言えば好きなことを仕事にしようということであり、それは特にここ最近、多くの人たちが憧れる生き方、トレンドとなっています。好きなことをどんどんやっていけばモチベーションも高まり、その分野におのずと精通し、それを仕事にできれば満足感の高い人生になるというのは、当然な考えでしょう。ですが私が子供の頃にはそういう考え方は一般的ではありませんでした。ではなぜ遊びと学びと仕事が分かれたのかというと、人間が産業社会の歯車となっていった過程と密接な関係があるわけです。ものを作ったり、管理したり、流通させたりといった各機能を分化することで効率をあげていく社会では、労働者は労働に専念するというのが資本家にとっては都合が良かったし、その社会に順応し、自ら歯車になることで生き残っていくっていくことが労働者にとってとても大事だった。先ほど言った、そうでないと生き残れないという恐怖がベースになっているわけです。生き残るための勉強、生き残るための仕事が遊びと分かれていくのは当然です。学生は学ぶことに専念し、学校を出たら仕事に専念するというふうに、ライフステージ的にもくっきり分かれていくことになりました。
 しかし今は世界のあらゆる分野で新しい生き方、社会の在り方を模索している時代で、これまでのやり方を続けていくことがむしろリスクになる時代です。

 教育が、「今ある社会に対してどう適応して生き残っていくか」に照準を合わせているところから、「社会をどう変えていくべきか、これから新しい時代を創っていく人間をいかに育てるか」というところに照準を合わせ直す必要があります。今までの当然だと思っていたことを見直して、なぜそう思い込んだのかというところまで戻っていった結果、これは今必要ないかもしれないと気づいて捨てていく。それをアンラーニングと呼んでいます。学びほぐしという言葉も、最近耳にするようになっていますが、そういうことが今必要なんじゃないか。そして、アンラーニングと、新しいことを学んでいくラーニングとが混ざり合い、交互に繰り返していくことが必要なのではないか。子供たちは興味のあることのラーニングをどんどんやっていけばいい。逆に大人たちはアンラーニングがとても必要である。そういう大人と子供が一緒に対話をしたり、それぞれの価値観を共有したりすることで創造性ということが生まれてくるんじゃないかと著者は提言しています。必要なのは自分がこんな生き方をしたい、こんなことがやってみたい、社会がこうなっていったらみんなが幸せだ、ということを、じゃあそれをやるためにはどうしたらいいんだろうか?なぜそれをしたいんだろうかと対話を重ねていくことで新しいものが見えてくるのではないかと。

 以上、私にとって印象的だった部分をかいつまんでご紹介しました。

『新感覚のアイデンティティ』

 私たちがそうやって刷り込まれてきた、今となっては不要なものをいろいろ捨て去って、本来のやりたかったことをやっていく上で、新しい思考テクノロジーが非常に役に立ちます。以前の研修会でも少しご紹介しましたが、今回この思考テクノロジーについての新しい本『新感覚のアイデンティティ(松本美登里 著)』が出版されましたので、こちらも併せてご紹介します。この本の中で、この思考テクノロジーを使って人生を変容させた人たちの実証例が豊富に紹介されています。新思考テクノロジーについて簡単に説明しますと、自分の周りに広がっている世界は全て自分という存在と相対の関係になっており、自分の信念、特に自己認識が反転して目の前に現れるというシステムになっています。そして、目の前に見えた世界を通して隠れた自己認識を発見し、その自己認識がどのように生じたのかを知っていくことによって、見える世界が変わってしまうというもので、これまでどうやっても解決できなかったあらゆる問題が消えるということが起こります。この思考システムが発見されてから20年以上経ち、これを実践して人生をドラスティックに変化させた人がすでに多く存在しています。米国と中国では心のバランスをとるテクノロジーとして特許も取得し、現在は教育のみならず医療・介護、家族の問題、人間関係、ビジネスや働き方改革など多くの分野に応用した研究が進められると同時に、各界で努力を続けている人や団体と協同しはじめています。

無意識の葛藤が創り出す現象

 例えば、いじめ虐待を根絶するというプログラムがあります。いじめや虐待には外見上、加害者と被害者がいますが、実は内面は全く同じで、だからこそ互いに引き合っていじめや虐待という現象が引き起こされているということをシステムを使って理解していきます。ドラえもんのジャイアンとのび太を例に説明すると、いじめるジャイアンといじめられるのび太は、外見上は相対の関係になっていますが、それぞれの内面意識に加害と被害という関係性があります。ジャイアンは表面上いじめる加害者ですが、実は家では怖い母ちゃんにぼこぼこにされており、母との関係において、ジャイアンは弱い人、いじめられる人というまさかの自己認識を持ってるわけです。でも弱い自分は惨めすぎて見たくない、それが無意識の中に深く抑圧され、それをバネに強くなろうとし、この強い自分というのが意識のほうに上がってきます。でも彼は自分の内面でこんなことが起きてるなんて全く気づきません。そしてジャイアンの目の前にのび太が現れます。ジャイアンは弱っちいのび太を見ると、無意識に隠した弱い自分の姿をそこに見ることになるので非常に嫌な気分になり、我知らずいじめてしまうわけです。一方、のび太は表面的にはいじめられっ子で被害者ですが、のび太の内面にも加害者がいるのです。のび太は自分がダメな子だと思い込んで自分自身を攻撃しています。すごく自分をいじめてる、その自己認識が目の前のジャイアンに映り、いじめられるという現象を引き起こします。このように内面にいじめる・いじめられるという関係性を持っている人同士が引き合うことによって問題は表面に現れます。ですから、たとえば内面で自己否定の強い人は、目の前に自分を否定してくる人が現れるというシステムになっています。
 このシステムを知り、あの人が自分をいじめていたのは、自分が自分をいじめていたのかと知ることで、内面の葛藤が消えると、それまで自分をいじめていた相手ががらっと変わって仲良しになってしまい、問題が消えるということが実際に起こるのです。

 今回はこの『冒険の書」と、『新感覚のアイデンティティ』の2冊の本を紹介することで、新しい教育と人間観、新しい思考システムというものの可能性をお伝えできるかなと思ってお話をしました。教育や子育てに悩んでいる人や新しい教育のあり方について探求している方々と、今後も一緒に歩んで行けたらと思っております。





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